記憶の風化ほど恐ろしいものはない。なぜなら抗う術がないからだ。まず、声から人は忘れていくという。慕っていた人の、自身を名を呼ぶ声すら人は忘れていく。とても、とても悲しい生き物だ。
記憶ほど不確かなものはない。こうしている間にも風化は進む。なのに何故それが絶対的なものと信じられる?それが本当に自分の記憶かどうかも今となっては危ういと言うのに。何故、その曖昧な記憶を頼りにして突き進められる?
――俺が思うにその答えは『繋がり』だ。まだ鮮明だった頃の記憶を信じて歩んできた『形跡』を俺らは信じて足を止めない。それこそが曖昧な記憶が真である唯一の証拠だからだ。
もしその『信じた』ものが最初から事実と反していたのなら。俺らは時を経てそれが違っていたかもしれないと振り返る術を失っている。
だから『繋がり』に依存する俺らにとって『記憶』ほど恐ろしいものはない。
……さて。あんたの記憶は全部『事実と合っている』と言い切れる?その答えは…………神のみぞ知る、って奴だな。
(少年Aの日記から一部抜粋)
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